2017年1月9日月曜日

愛猫(あいびょう)の命日に


シャム子が逝ってから、今日でちょうど1年になる。
シャム子は私が引き取った野良猫5匹の中の1匹で、ほとんどシャム猫のような風貌をしていた。雌猫なので、シャム子と名付けた。

最後まで私に懐かず、撫でようとすると嫌悪感を顕わにして飛び退くのだった。それでも少しずつ間をつめていき、背中を撫でると気持ちよさそうに大人しくしているぐらいには近づくことができた矢先の別れだった。
私は亡き骸を庭に埋葬し、シャム子のために歌を三つ詠んだ。

わが腕(かいな) 人に懐かぬ 野良猫が 生きるを遂げて 漸く憩う

言葉にて 想い伝える すべもなく 生まれて生きて 去りゆく者よ

なきがらは 冷たき土の 下なれど わが耳残る あの猫の声


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ペットとは『悲しみの時限爆弾』だ。私はあらためてそう思った。最後は必ず爆発する。
ネットで検索すると、同じように表現している人を見つけた。↓

悲しみが止まらない | ハンドメイドルアーの馬の助ブログ弐型 http://umanosuke88.umanosuke.shop-pro.jp/?eid=1142

その人は「ペットは喜び発生装置であり、悲しみの時限爆弾でもありますね。」と語っておられる。
我々はペットから喜びや安らぎ、心の充実を受け取るのだ。悲しみもまた、受け止めなければならない。

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シャム子を弔ってしばらくのこと、近所の墓地でシャム子のような猫を見かけた。座り込んでグルーミングをしている。シャム子でないことはもちろんわかっていたが、私は、
「シャム子」
と呼びかけた。毛づくろいをやめてその猫は驚いたように顔を上げた。シャム子ほど美形の猫ではなかった。

亡き猫に 似た猫見かけ 呼びかける この手で埋めし 愛猫(まなねこ)の名を

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しかし、雑種ではあるが明らかにシャム猫の血が入っている猫だった。棲む地域も近く、シャム子とは親戚かもしれないと思った。
シャム子の魂は神様の元へ召され、亡き骸は私が土の中に埋めた。しかし、シャム子と血のつながった猫たちは、きっとこの空の下のどこかで生きているのだ。そう思った。

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今の家に引っ越した2015年の夏、夜遅くに私が帰宅すると、かき丸以外の4匹が庭先に出てきて私を迎えたものだった。白狸とマカレルは足元まで来たが、シャム子とサビーナは少し離れた所で足を止め、こちらを見ていた。
2016年の1月、降った雪が解けきらぬ庭を夜にながめていると、夏に庭先で遊んでいた猫たちの姿が思い浮かんだ。

夏の夜 庭駆けていた 猫たちが 冬の星座の 真下に浮かぶ

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